はじめての連載。
女優
祷 キララ
はじまり
駆け足で準備して、駆け足で飛び立った。行き先はカンボジア。海外への、初めての一人旅。胃薬、デジカメ、旅行本、詰め替えボトルにネックピロー…前日に歩き回って買い揃え、保険とwi-fiを予約して、明け方、やっとのことでホテルを決めた。そんなこんなで一睡もできなかった。重たい瞼に、朝日が眩しい。
旅のはじまり。心は弾んでいた。
雲の上はいつも
雲の上はいつも晴れている。何年か前、飛行機に乗っている時にふと気がついた。曇天で、小雨が降り続く日だった。離陸は午後。飛行機は轟音で飛び立って、ぶ厚い雲へと向かっていった。雲の中に入ると、窓の外は灰色一色。雨粒が窓を刺す。左右に傾き揺れる機体。全身にゆっくりと負荷がかかって、
刹那!
ふっとあたりが明るくなる。
雲の群を抜けて、外はいちめんの青空と、太陽だけになっている。
ハッとした。雲の上は、こんなにも……晴れている!
雲の上はいつも晴れ。当たり前みたいなことだけど、その事実が好き。この目でそれを見るたびに、よかった。と思うのだ。
成田空港からハノイ経由で、カンボジア・シェムリアップへ向かう。搭乗券を受け取って、しばしさよならの日本の景色。
みえないもの
余裕を持って着いたはずの空港で、私はなぜか、走っていた。搭乗開始と書かれていた時刻の少し前、最終搭乗のアナウンスが始まったのだ。同じように焦ったようすの乗客たちと、急かされながら搭乗口へ。
飛行機に乗り込むと、3人掛けの窓側、私の席に男の人が座っていた。隣の友人とベトナム語らしき言葉で盛り上がっている。声をかけてチケットを見せると、足を見せ返してきた。えっ。なんだ?我が物顔でどっしり座っている。隣の友人がしどろもどろに「彼はケガをしてるから、窓側がいいんだ。」みたいなことを言ってくる。疑心暗鬼かもしれないけど、何だか怪しかった。近くにいたCAさんに事情を話すと、ベトナム語らしき言葉で彼らとちょっと言葉を交わし、結局通路側の席へ促された。なんとなく釈然としないまま座る。
しばらくすると、席の調整で前列がまるまる空いて、さっきのCAさんが窓側の席に移してくれた。いくら不便でも、数時間のフライトなら窓側がよかった。ホッとしていると、大学生らしき男の子たちが隣の席にやってくる。わいわい笑い合っていた彼らは、離陸するとすぐ眠りに落ちていた。
窓の外を眺める。雲の上は、晴れている。写真を撮ったり観光本をめくっているうちに、気がつくと私も眠っていた。
ふと目を覚ました時、あれ?と思った。あと30分くらいで着陸するはずなのに、機内食販売が始まったのだ。遅れているのだろうか……?
30分後。到着時刻になっても、飛行機は雲のはるか上を飛び続けていた。そして気がついた。出発時刻は日本時間、到着時刻はベトナム時間で書かれていたのだ。成田からベトナムまで3時間半で着くと信じ込んでいた自分の無知を思い知る。
5時間半のフライトを経て、飛行機はハノイへと降り立った。
飛行機から降りて、アッとなった。窓側の席のあの男が、友人に介抱されながら、松葉杖を使って大変そうに歩いている。
疑心暗鬼は想像で、想像の至らなさだった。想像するって。難しい。冷たく疑った自分が恥ずかしくなった。旅に出るということは、知らないもの触れること。日本にいる時よりもっと、わからないことだらけだろう。
想像し続けよう。どんな旅になるかわからないけど、自分の目で見て、感じよう。なるべくたくさん、歩いてみよう。そう思った。
フライト時間の大誤算で空腹だった。空港のフォーの店へ。牛肉のフォーとミネラルウォーターで2000円くらいと、なかなかいいお値段。
ふと顔を上げると、フェイスパックをしたままフォーを啜っている女の人がいた。たっぷりした茶髪にはカーラーも巻きついている。トランジット中だろうか。
食べ終わったら、どこの国へ行くんだろう。
向かい合ってフォーを啜る。あたたかくて美味しかった。
この旅が、なんとなく楽しくなりそうな予感がした。
遠いところ
目的地のシェムリアップは、アンコールワット遺跡群からおよそ5キロの位置にある市街地だ。何もかもが未知の街。物価が安いし、思い切って5つ星の素敵なホテルを予約してみた。
予約してすぐ、ホテルから丁寧なメールが届いた。空港まで送迎に来てくれるという。1人だと割高だけど、お願いしてみた。メールのやり取りを重ねる。最初はかっちりした感じの文章だったのが、最後には拝む絵文字(🙏)でいっぱいのお茶目な可愛いメールが届いた。
ハノイからシェムリアップまでは飛行機で1時間半ちょっと。そう遠くない2つの街。でも、飛行機から見える景色は全然違う色だった。
成田を発っておよそ10時間半。私はついに、カンボジア・シェムリアップ空港へ到着した。伸びとあくびをやりながら、飛行機を降りて廊下へ出る。
とたん、息を呑んだ。
…異国の匂い………!!!
廊下には窓がなく、風が自由に通り抜けていた!唐突に、一気に、カンボジアの匂いに包まれる。感動的だった。甘いような、切ないような、夏祭りの残り香みたいな、、生っぽい不思議な匂いがした。
遠いところまで来たんだ!
夜になり始めていた。
Stay healthy!
ホテルへ。送迎に来てくれた”アン”は、よく笑う楽しい人だった。
マニュアルにあるのだろう、カンボジアの人口や気候など概要をゆっくりと説明したあとは、冗談混じりで色んなことを話してくれた。
話がちょっと落ち着いた時、彼はふと「最近まで紛争があったことを知ってる?」と私に尋ねた。カンボジアとタイの紛争が終わったのは、ほんの13年前。内戦は約30年前まで続いていた。
「戦争が起きる前は、豊かな立派な国だった。でも戦争があってから、小さく貧しくなっちゃったんだ。」
「日本に帰ったら、友達にも教えてあげて!カンボジアはいいところなんだよ。」
頷きながら、旅行記を書こうと思いついた。
紛争の時の話のあと、
「貧しい国になったけど、今は平和だよ!本当に、平和が一番。」
アンは笑顔でそう言った。私は何も返せなかった。
アンコールワットへいく前に、ワット・トメイ寺院(キリングフィールド)へ行ってみようと思った。
ホテルに到着。別れ際、「Stay healthy(健康でいてね)!!」と何度も何度も言ってくれたアン。「1人で寂しい時は、いつでも一緒にビールを飲もう!」にかっと笑って去っていった。
チェックインを済ませて部屋へ。つかれたー!!とソファに倒れ込んだとたん、停電した。1分くらいで静かに復活。食べ物とビールを買いたくて、近くのコンビニみたいな店へ。初めて自分の足で、シェムリアップを歩く、というか、走る!観光地とはいえ、ここは外国。夜の通りは異様な雰囲気で怖かった。
明日から、楽しめるだろうか。少し不安になった。
はだかになって花を見る
長い1日の最後は、ホテルのスパへ。勧められたオイルマッサージをお願いし、アロマを選んでいざ部屋へ。担当の女性マッサージ師が、微笑みながら小さな包みを渡して出て行った。包みに入っていたのは……ショーツだった。
「ああ、オイルマッサージって、裸になるんだ!」
そういえば、初めてだった。何も知らなかった。疲れていた。もう、どうにでもなってくれ!えいやっと裸になって、ちっちゃなショーツに足を通す。
マッサージ師に促されるがまま、うつ伏せになって寝転んだ。台の穴に顔をはめると、目の前には、花があった。
台の下に置かれたガラス皿に水が薄く張ってある。色とりどりの小さな花が、そこに浮かんでいるのだった。
あたたかいオイルが身体にふれる。レモンピールの優しい香り。ヒーリングミュージックに癒されながら、
一人旅の初夜、私は、カンボジアではだかになって花を見ていた。
極上のマッサージだった。
とろけた身体で部屋に帰ると、シャワーも浴びずに寝落ちてしまった。
Profile
祷キララ
2000年3月30日生まれ、大阪府出身。2009年に『堀川中立売』でスクリーンデビュー。主演を務めた『Dressing Up』にて第14回TAMA NEW WAVE ベスト女優賞を受賞。数々の映画・ドラマ・舞台に出演。主な出演作に『左様なら』、『アイネクライネナハトムジーク』、『サマーフィルムにのって』、『忌怪島/きかいじま』、玉田企画『영(ヨン)』、iaku『モモンバのくくり罠』など。2024年2月4日から出演する舞台パルコ・プロデュース2024『最高の家出』が紀伊國屋ホールにて上演(他、地方公演あり)。