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CMJKの東京サイバーパンク回顧録 その② 神保町〜前編〜

ミュージシャン・作曲家・編曲家・音楽プロデューサー・DJ

CMJK

仙台で生まれ育ったぼくでも昭和の昔から東京の秋葉原は電気の街であるという情報は得ていた。現在はコンカフェやアニメグッズの街という顔も持つ秋葉原だがそれでもやはり今も電気の街であることに変わりはない。

上京後新宿歌舞伎町〜渋谷とエリアを変え店舗を変え調理補助のバイトをしていたぼくだが毎日に疑問を感じていた。バイトを真面目にこなしていたのは良いのだが、調理師免許取らせてやるぞ、社員になれ、と。あれっ自分音楽やりたくて東京出て来たのにな、と。

思い切って飲食を辞め少しでも音楽に近いバイトにしようとレコード屋さんやリハーサルスタジオ等々いろいろ回ったが雇ってはもらえなかった。自分のバンドのギタリストが神保町のレンタルレコード店でバイトしているのを思い出し初めて訪ねてみることにした。

初めて赴いた神保町の景色に衝撃を受けた。靖国通り沿いに建つビルの上には◯◯書点と巨大なネオンが輝きそんなビルがずらっと並び、ビルとビルの間の小さな建物も全て何十年も前からあるような古書専門店だったりと、想像の何十何百倍も「本の街」だったのだ。

これは前出秋葉原が電気の街であるということの何倍もの驚きがあった。こんな街が東京に、いや地球にあるなんて、自分は今ロールプレイングゲームの中にいるのか?この景色、なんてサイバーパンクなんだろう!と感嘆した。

レンタルレコード店「ジャニス」(現在は閉店)に知り合いのギタリストを訪ねて初入店。ロック、ブラックミュージックはもちろん、クラシック、現代音楽、ワールドミュージックに至るまでその多様性と在庫の多さに驚かされた。

「バイト探してるんだけどなかなか無いんだよ」

「じゃあうちでやれば?ちょうど募集してるよ」

ぼくの神保町ライフが始まることとなった。〜後編へ続く〜

かつてはここにランドマーク的に建っていた三省堂。現在は解体され仮店舗が小川町にある。

ぼくの「大学」であったジャニスは現在は焼肉屋さんになっていた。

神保町はカレーの街でもある。30数年来の思い出の店がたくさんある。

転載元: https://tta-keikaku.jp/ より

Profile

CMJK

1967 年 8 月 21 日 宮城県仙台市出身
ミュージシャン、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、DJ。
1991 年に電気グルーヴのメンバーとしてデビュー。
その後 Cutemen、CONFUSION といったユニットで活躍し、1990 年代の日本のテクノ、クラブシーン黎明期の礎の一翼を担った。さらに浜崎あゆみ、DREAMS COME TRUE、SMAP、Kis-My-Ft2、V6、私立恵比寿中学、アンジュルム、Juice=Juice、など多数のアーティストのサウンドプロデュースを手がける。
2016 年にはファッションブランド「BEAMS」創業 40 周年を記念したプロジェクトとして、40年間の東京のカルチャーをファションと音楽という2つの視点から振り返るミュージックビデオ「TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック(smooth rap)」のサウンドデザインと編曲を担当し、2017 57th ACC TOKYO CREATIVITY AWARDSにてゴールドを受賞した。
そのほか映画、ドラマ、アニメ、CM 音楽、ファッションショーの音楽の制作等々、多岐にわたって活動中。

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