収集するということ 01
プロデューサー
BJ
『 必要のない「旅 」』
数字に対しては
人並みのつもりでいた。
例えば幼少の頃
好きな数字があった。
1(世界のホームラン王・王貞治)
3(日本ハム時代の落合博満)※大人になって
4(なんだか不吉だけど気にしてた)
6(オレ流・落合博満)
7(ラッキーセブン!)
55(ゴジラ・松井秀喜)※大人になって
60(↓別途文章お読みください)
66(名将・落合博満監督)※大人になって
331(私の苗字・ササイ)
8888(末広がりだ。いいことあるかな?)
等々…
どうやら私の場合
その殆どが背番号であった。
なかでも「60」(↓ 別途文章)には強い想いがある。
1994年。
プロ野球選手初のFA宣言で
落合博満選手が読売巨人軍に移籍した際に
巨人軍の背番号6は篠塚利夫選手がつけていたため、
球団創立60周年であった巨人軍の
60代目の4番打者として、背番号60を背負った読売巨人軍・落合博満選手が誕生し、日本一へと導く大活躍をしたのである。
その姿が大好きすぎて、
私の「6」にまつわる「旅」がはじまりました。
誰にも求められていない。はじまる必要のない
「旅」のはじまり。
「6」が私の視界に入ると、
反射的にカメラ(現在はスマホ)で撮影している。
特に
「60」に巡り会えた時などは、
どうかと思うくらいキモい顔で写真を撮ってるはずだ(気配で分かります)。
そんな
「6」の「旅」を、もう30年続けているが、
その「旅」は終わるどころか、
2024年に急加速し、遂に先日ネオン管で
「60」を作っちゃいました。
うれしい(笑)
私の「旅」はまだまだ続くのです。
転載元: https://tta-keikaku.jp/ より
Profile
BJ(ビージェイ)
1968年札幌生まれ。
「TTA MAGAZINE」 編集長
tta-keikaku.jp
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